現在生まれ故郷である静岡市清水区で、3歳の男の子と1歳の女の子のママとして育児に奮闘しながらセラピスト/講師の活動をしています。2人の怪獣を育てながらのフリーランスとしての活動は慌ただしくもあり、上手くいくことばかりではありませんが、私と関わって下さったお客様や受講生の皆様の笑顔と言葉に日々元気を頂いております。
私がこの業界に入ったキッカケは、自身の度重なる怪我が理由でした。小学校2年生から始めたミニバスで初めこそ怪我もなく自分の身体が思うがままに動くそれはそれは楽しいバスケットボール生活でした。しかし、身体の成長速度の早かった私は小学校高学年になると捻挫や肉離れなどを頻発する様になり、中学校では二度の膝前十字靭帯断裂という大怪我を負いました。
しかし怪我を負っても大好きなバスケットボールは諦めたくない。その一心で怪我をする度にそのリハビリ過程で理学療法士さんやトレーナーさん達に幾度となくサポートして頂き、高校生活が終わるまでプレーヤーとしてバスケットボールに専念することが叶いました。
そんな私は高校を卒業する頃にはもう、将来の夢は一択「スポーツトレーナー」として怪我に苦しむスポーツ選手を陰ながら支える存在になりたい!という明確なものとなっていました。
その目標を胸に、大学は日本一の実績を誇るラグビー部に入部。日本一のプロのトレーナーさん達のご指導の元、現場で活きたスポーツ医療を学ぶとても貴重な四年間を過ごすことができました。選手達は全員自分より2回りも3回りも身体が大きく、かつラグビーという競技特性上、現場はいつも死と隣り合わせ。(頚椎損傷や脳震盪が珍しくないので)その様な状況下で自分が何をすべきか、何ができるか、と常に考え行動に移し、トライ&エラーを繰り返す毎日でした。当時のトレーナーの恩師から、「トレーナーであっても医者と対等に話せる医学知識を持ちなさい。実際に現場で起きている事はそれほど命に直結する問題ばかり。リハビリ方法やテーピング等小手先のスキルを身につけることも重要だが、まずは一番重要な解剖生理学の基礎知識を付けなさい」と常々ご指導頂いた経験から、セラピストに転身した今でもずっとその言葉を胸に勉強を続け知識のアップデートは欠かしていません。
そんな勉強漬けのトレーナー活動を続ける中、ある事に気が付きました。「コンディションが常に良い選手は怪我を滅多にしない」という事。チームでコンディショニングの一環としてオイルを用いたケアを取り入れ始めた頃、選手の身体を触る機会が増えたのですが、普段から怪我の少ない選手の筋肉というのはとても柔らかく、適度な弾力があるんですね。対して定期的に肉離れを起こしたり、疲労性の怪我を負う選手というのは、筋肉の硬さが目立つ。(弾性が無くガチッと硬い感触)しかし、オイルケアを施すと、その硬い筋肉でも柔らかさを取り戻す。弾性を取り戻すと言ったら良いのでしょうか、質感が変わるのです。何より選手自身が「脚が軽くなった」「最近スネの痛みが無い」「疲れからの回復が早くなった」など、明らかにコンディションが上がったのです。
これだ、と思った私は、怪我を予防する為の「オイルケア」がより深く学べる場を探しました。しかし、その当時の日本においてはオイルを用いたケアというのはリラクゼーションやビューティーケアなどのいわゆる”スパ・エステ”といった分野がメインだったんですね。私が探し求めている”身体のコンディションを高めるオイルケア”を学べる場は日本にはありませんでした。
そこで、当時チームで使用していたマッサージオイル会社の方に直接話を聞きに行こう、と思い学生の身分でありながら(笑)直接企業訪問をさせて頂きました。その企業の社長様、トレーナーさんがとても親切に私の相談に乗ってくださり、日本ではこのようなオイルケアを学ぶ場を探すのはなかなか難しいという事、そして海外に目を向ければオーストラリアに”リメディアルセラピー”というまさしく私が探し求めているスキルがあるという事を教えてくださいました。
それからというものの、私の次の目標は「オーストラリアに渡って、リメディアルセラピストになる!」というものに変わったんですね。
日本にいる間に信頼できる留学エージェントさんと出会い、大学卒業後にすぐオーストラリアのゴールドコーストという場所へ単身留学に行きました。当時は英語なんて全く理解できない状態だったので(高校では赤点。笑)まずは半年間語学学校に通い、なんとか日常生活には困らないレベルまで到達、これで専門学校も大丈夫だろうと思っていましたが、とんでもない。ローカルの専門学校だったので、当然英語の訛りもあれば授業スピードも現地の学生に合わせて行われ、毎日放課後は夜まで図書館に篭りその日の復習&翻訳の日々でした。初めこそ泣きたくなるような壮絶な毎日でしたが、授業が深まっていく度にその魅力にハマり、まさしく私が学びたかったのはこれだ!と感動を覚えたのを今でも思い出します。オーストラリアの国民にはリメディアルセラピーが根付いており、アスリートから一般の方までリメディアルセラピーを受ける事で心身の不調を改善する事が当たり前な文化でした。オーストラリアでは治療としてこのリメディアルセラピーが受けられるので結果重視の厳しい世界ではありましたが、過去のトレーナー経験から得た知識やスキルも役立ち、クリニックのお客様やバイト先のマッサージサロンのお客様など、どのお客様からも必ずリピートを頂けるまでに成長する事ができました。
もちろん、リメディアルセラピーだけでなく、オーストラリアという地で生活していく中で日本では経験できないような事も沢山学びました。何よりオーストラリアという土地柄、海や山などの自然との関わりが深い環境だったので、毎日学校へ行く前にはビーチに寄りヨガをしたり、海に入ったり、瞑想をしたりと、自然と触れ合うことで心の調和を取ることができるという事を学びました。
人の身体を癒すお仕事を生業としているのであれば、まずは自分自身が心身共に健康で満たされてる必要があります。触れる手や雰囲気、話し方でお客様に全て伝わってしまうんですね。なのでその為には自分で自分自身を癒す術を持っていなければなりません。それが自然に触れるであったり、好きな事をするであったり、歌って発散するであったり、人によってそれぞれで構いません。目に見えるものでは無いので日本においてはあまり馴染みの無い感覚かもしれませんが、知識やスキル云々の前に一番大切な部分となるので、常々受講生の皆様にはお伝えしています。それがセラピストとして、またはボディワーカーとして永くこのお仕事を続けていく為の秘訣だとオーストラリアでは多くの先生が口を揃えておっしゃっていました。
学校を卒業し日本に帰国をしてからは素敵なご縁に恵まれ、都内の大手リメディアルセラピースクールにて講師を務めさせて頂きました。息子の妊娠が分かるまでの2年間という短い期間ではありましたが、多くの受講生さんと出会うことができ、またその皆さんがリメディアルセラピーによって自身の施術スキルが上がるだけでなく、事業が上手く回ることでより生き生きとした人生が送れるようになっていく日々がこの上ない私のやりがいでした。ベテランセラピストさんから初心者の方まで皆さん様々なバックグラウンドをお持ちでしたが、一緒にリメディアルセラピーを学ぶあの時間だけは全員が平等で切磋琢磨し合う、そんな素敵なスクールでした。
第一子を授かり退職をし、故郷である静岡に戻ってからは一旦セラピストという職業はお休みの期間に入ったのですが、職業病でしょうか、学びを止めることはほぼ無かったです。それほど人の身体の神秘というものに惹きつけられ、その魅力をもっと知りたい、もっと多くの人をこのリメディアルセラピーで救いたい、と感じていたんですね。第二子を出産してから約1年後、念願であった自身のサロン”Vita"を開業する運びとなりました。開業するに当たっては、地元の海沿いにあるとても素敵なサーフショプの2F、キラキラとした海を眺められるオーシャンビュールームというこの上ない最高の環境をご提供頂き、地元静岡の皆様の健康をサポートする日々、という現在に至ります。
半年前からはVita Academyを開講し講師業も再開しました。私が今までに経験した様々な知識やスキルを含め、本場のリメディアルセラピーというものをセラピストさんやトレーナーさん、治療家さんにお伝えさせて頂いております。近年こそ日本でリメディアルセラピーを学べる場は増えてきてはいますが、私はただ知識やスキルをお伝えするだけではありません。”現場で活きるリメディアルセラピー”として、このアカデミーで学んだ事がご自身の施術に活かされ、受講生ご自身だけでなく受講生のお客様も、生き生きとした明るい未来が送れるように、との願いを込め日々ご指導させて頂いております。
"Vita"=活き活きとした、生命、人生
私と関わって下さった全ての方が活き活きとして健康な人生を送ることができますように、という願いを込めて。